沖縄戦から70年がたちましたが、美しい離島で激しい戦闘がありました

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伊江島での激しい戦闘
出典:http://yanbaruclub.ti-da.net/e3363110.html

第二次世界大戦で日本本土が空襲などで大変な被害がありましたが、
地上戦が行われたのは、沖縄だけです。

その沖縄戦から70年が経過しました。
大変に悲惨な戦いだったんですが、以前の記事でシュノーケリングのおすすめポイントをご紹介した場所から美しく見える島で大変に悲しい戦闘があったんです。

 

伊江島

自分が沖縄で大好きなシュノーケリングポイントで備瀬崎があります。
ここは、那覇からレンタカーで高速を使って2時間弱のところににあります。
近くには有名な「ちゅら海水族館」もあります。

名物のフクギの森を抜けると海が見えてきて、すぐに透明度が高い美しい海岸に到着します。

そこからとても近くに感じ、平たい地形に一部だけ盛り上がった城山がシンボルの島が見えます。
それが「伊江島」です。

福山雅治が出演しているタイヤのCMにもバックに映っていたことがあるんですが、
この島って、みなさんご存じでしたか?

8秒から9秒あたりに見えます

沖縄大好きさんはご存じでしょうが、あまり知られていないかもしれません。

実は沖縄本島から船でたった30分で行けるんです。

観光としては、失礼ながらあまりぱっとしたものがないので、知られていないし、わざわざ船で渡る人は少ないのかもしれません。
でも、やっぱりダイビングなんかは、沖縄本島の透明度より、近い島とはいえ高いかもしれません。(ごめんなさい、ここで潜ったことはありません)

 

沖縄戦

ところで沖縄戦での犠牲者は何人ぐらいかご存じでしょうか。
なんと19万人ぐらいお亡くなりになってます。
その中でも、沖縄出身者は、12万人くらいで、内8割が民間人でした。
実際の犠牲者数については、はっきりと分かっておらず、いまも調査と遺骨の発掘が行われているるぐらいなんです。

1945年 3月、はじめに米軍は慶良間諸島から上陸し、4月1日にはいよいよ沖縄本島へ上陸してきました。
場所は、北谷や読谷とのことですので、沖縄本島の真ん中あたりから上陸しています。

個人的には読谷が大好きで、サトウキビ畑が今も広がるのどかな場所です。
そこへ揚陸艦が溢れているのを想像できないです。

ここから南北へ米軍は進んでいくわけですが、日本軍は持久戦を命ぜられており、濠に民間人と共に潜行し、ゲリラ戦が激化していきました。

沖縄戦の概要は、NHKオンデマンドでみれます。

 

伊江島の犠牲者

北谷や読谷より北部にある伊江島ですが、当時としては東洋一の飛行場が建設されていました。
そのため日本の 守備隊も多く配備されており、米軍の当初からの標的とされていたようです。

4月16日〜21日での、いわゆる「6日戦争」で、日本人4700人が犠牲者となる激しい戦闘が行われたんです。

この沖縄戦が始まる前から、伊江島の飛行場が標的となることは分かっていた軍部は、沖縄本島の食糧補給部隊に関わるような兵士たちも呼び寄せ、訓練をしてきたようですが、武器が足りず、訓練としては竹槍訓練だったそうです。

そして、戦闘がはじまると実際の戦い方は、「斬り込み」でした。
要するに特攻です。
武器としては鉄砲と手榴弾程度しかないため、手榴弾を持って戦車の下でもろとも爆発する特攻か、手榴弾を投げた後、松の枝で戦う?方法のようでした。

これでは、たった6日間で4700人が犠牲者となるのも無理もないわけです。

そのような状況下、想像通り民間人は大変な苦しみを味わうのですが、自決や特攻など「沖縄戦の縮図」といわれる由縁となる悲惨なものでした。
中でも、アハシャガマでは、120人もの住民が集団自決させられ、また、住民も「斬り込み」させられたのは、沖縄戦のなかでも珍しいとのことです。
これは、日本軍の「捕虜になるぐらいなら死を選べ」という教えが大きく影響されてしまった結果です。

 

まとめ

現在の伊江島は当然、平和そのものの、のどかな島です。
沖縄旅行で離島への計画がある場合は、伊江島が手頃かもしれません。

「ヌチドゥタカラの家」を訪れてください。
ヌチドゥタカラとは、命がなによりも大切という沖縄の古い言葉です。
「わびあいの里」という施設内にあり、戦争の悲惨さを勉強するうことができます。

また、今後 自分は伊江島を訪れて濠を通りがかるときは、手を合わせて犠牲者の冥福をお祈りしようと思います。

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